絵とか、文字とか、写真とか・・。その日の内容と気力に合わせて変化します。


2003.6.2


今日は前回書くはずだった気温の話。

「暑いんでしょ。」

ま、まぁそうなんですが、一言に暑いと言ってもいろいろあります。
前にわざわざ「ドバイの気温は・・」「Al-Ainは・・」と書いたのは、
ここUAEは小さい国ながら、各場所で気温がずいぶん違うから。
実際の数字も違うけれど体感温度はこれまた違います。

ドバイ空港とAl-Ainにある家は距離にして120キロぐらい。
ハイウェイのスピード規制が120キロなので
法定速度ぎりぎりで片道約1時間かかります(あほな解説でごめんなさい)。

東京と静岡県の沼津か富士かくらいの間(ほんと?)。

なので気温も多少違うのは想像ができますが
なにが違うって湿度が違うんです。

ここAl-Ainは内陸で湿度がひじょ〜に低い。
そのため太陽に直接あたらない場所にいれば
40度という値を気温計がさしていても長話をしていられます。
(とはいえども40度の世界だから暑いには暑いけど。)

湿度が低いうえ、
住んでいる建物も天井が高い作りのせいか、
外が45度になっても天井についているファンをくるくるまわしていれば
ほとんどエアコンは使わないで済んでいます。

日が沈んでしまった後は気温が高くてもわりと過ごしやすく、
現在のところ長袖を着て外にいても大して苦になりません。
髪の毛が首に触っても不快じゃないし。
昨日は夜8時半ころ外を歩いて
「いやぁ気持ちのいい夜だね」って、気温は35度でした。
(ただこれからもっと暑くなるそうですが。)

日本で(実家は中部地方)30度超えてエアコンなしはかなりきつい。
それを考えると湿度ってすごい影響力だと思います。

逆にドバイは海側。そのため湿度はむちゃくちゃ高い。
気温が40度のAl-Ainから
37度のドバイへでかけたことがありますが(去年夏)、
Al-Ainでは「あちー」と思ったくらいだったのに、
ドバイでは車からおりると、めがねがまっしろに曇っちゃって、
建物までの距離を歩くだけで汗はぐっしょり、気持ちもぐったり。

気温30度湿度100%で「86」という不快指数がでるそうですが、
夏のドバイの不快指数ってどの程度なんでしょ。
100人が100人「不快ですっ」って言いそうな気もしますが。。
(確認しておきますが、「不快」なのは気温の話。)
聞くところによると、夏本場は気温50度湿度100%なんて
いう日もあるそう。呼吸できるのかな・・。

湿度が低いが気温が高いAl-Ain。外を歩くとどんな感じなのか。

一言で表すと、「痛い」。

日ざしが痛い。コンクリートからはねかえってくる熱風が痛い。
助手席でダッシュボードの上に足をのせて、
窓に足をくっつけてできたやけどが痛い〜。
(おとうさん、おかあさん、お行儀のわるい私を許してね)

助かるのは洗濯物がよく乾くこと。ひじょーに乾きがよいです。
洗濯指数は毎日三重○。
部屋のなかで洗濯物は干すのですが、
乾きがいいのでかび臭くなることもない。
食器も速攻乾くので、拭く手間が省ける。
(いや、けっしてめんどくさいのではなくて・・)

ある日、絨緞敷きの部屋が雨水で洪水になったことがあったんですが、
(くわしいことについてはまた後日)簡単に水掃きをしたあと
エアコンのドライをちょっとまわして出かけてしまいました。
帰ってみれば1日で大復活。カビなんてぜんぜん生えませんでした。

想像つくと思いますが、これだけの乾燥度。
お肌は大変。一日さぼったら砂漠化が一気に進行します。
(さぼってばっかりだけど。)
硬くなった踵は凶器と化します。
(ストッキング常用のOLさんが見たら卒倒しそうです。)

砂漠といえば、緑もそれなりにあって建物が並ぶので
ふと忘れてしまいそうになりますが、ここは砂漠地帯。
そのため一日の気温差はとても激しいです。朝33度
お昼近くに39度、午後に43度、夜になって36度
なんていうのはあたりまえ。

でもこれがほんとうの(?)砂漠に行くと
もっと気温差があるんです。(これもまた後日)
雨が降ると気温は一気に下がります。(雨の話もたっぷり後日)

日本にいるときはたいして考えたことなかったけれど、
気温のことなくしてUAEはかたれないのでありました。

気温の話は、長くなるのでまた今度。

2003.6.3


今日は、趣向を変えて相方さまの紹介を。





絵の問題もありますが、それは今回はおいといて・・。

ぐぐーっと近寄ると、パーツ、パーツは
ほんとうらやましいほどの物を持っているんです。

でもぐぐーっと引いて見てみると
なぜ、なぜなのっ。私の描く絵に限りなく近づいちゃうんです。

「夜目、遠め、・・」といいますが、
彼の場合は「近目」で、しかもくっつくくらいの至近距離で見たほうが
(できればパーツごとで見たほうが・・)いい男に見えると思います・・。

注:「いい男だ」と言っているのではありません。

でも‘パーツがよくって出来が悪い’って、
「塗装からなにから全ての下準備を器用な友達にしてもらったプラモデルを
 自分で組み立ててがっかり、」

みたいなあきらめのつかない感情がついてきそうですが、

この失敗作非完璧のおかげでいまがあるとおもうので、 ありがた〜く思っています。
いや、ほんとに。


*「今日はなにについて書いたの〜」って言われたら、
なんと説明しようか考え中・・。

2003.6.4


また描いちゃいました。
友達がなんとPhoto Shopのソフトを送ってくれるとのこと。うれし〜。
でもそれを待たずして描いちゃいました。やっぱり色がきれいに出ないですね〜。
ソフトの問題です。  はい、技術の問題も素直にみとめます〜。


(絵の解説は一番最後に。)


今日はお水(夜を飾るきれいなお姉さんではなくて、液体の水、特に飲み水)の話。

数ヶ月雨が降らない日が続く(というより雨が降る日は数えるほどの)
UAEですが、人口約300万の人達が普通にみんな水を使うわけです。
洗濯機を使ったり、シャワーを浴びたり、料理をしたり、車を洗ったり・・
水源になりそうな湖と呼べるものが一部しか存在しないUAEで、
どうやって国中に水が供給されているのか。

莫大な資金を投入して海水を蒸留してできた淡水を、
国中を這っているパイプでそれぞれの場所に送り出しているそうです。
(たしかどこかの日本の企業がUAEの新しい海水淡水化事業
を落札したとかなんとか新聞で読んだような気がします。あいまいですんません。)

その水が各家庭にまわってきます。
(おおきな都市でのシステムはちょっとわかりませんが)
日本の水道とはちょっと違ってそれぞれの建物が
地上に(家の裏とか屋上とか)おおきなドラムをもっていて、スイッチを入れると
まず一旦そこに水が取り入れられます。そこに水が入っていれば
水道をひねると水が出て、フラッシュすればトイレの水も流れるわけです。
(この話はまた後日)

飲料用の水の話にもどりますが、
この水道から出る海水を淡水化した水、毒ではないんですが
直に飲んでもあまり美味しいものではありません。
時には塩味がしちゃったりするそうです(これについては未経験)。

で、
飲む水はみなさんボトルで買うわけです。
(私の実家はお水のおいしいところ。
今ではペットボトルの水も当たり前になりましたが、
離れて一人暮らしを始めた時、水道から水が飲めず、
水を買わないといけないことのショックはそれは大きかったです。)

私、水の味(というより飲み口かなぁ。)にはちょっとうるさい。
−といっても中身に詳しいわけではないんですが、
どーしてもだめなのが「○ビアン」(○の意味があるのか?)。
あの「硬質」な感じがとても苦手です。

ここUAEでもお水はいくつか種類があります。
そのなかでお気に入りは絵にも描いた「マサーフィ」。
これ、実は日本でも手に入ります。

日本にいる時、ぼけーっとテレビを見ていたら、ちょっと好きになりかけていた
安住アナウンサーが、東京恵比寿ガーデンプレスにできたお水のバー
(しつこいようですが「飲むお水」です。イントネーションお間違えなく。)
を取材していました。

そこでは世界各国の水が飲めるそうですが、
なんと一番人気は「アラブ首長国連邦のマサーフィ」と紹介しているじゃないですか。
1本130円くらいしたと思います(500ml。高〜っ!)
興味のあるかたはぜひお試しを。ちなみにここUAEでは1本約33円です。
(ちなみにガソリンは1リットル約32円。)


では、淡水化事業もペットボトルの水も存在しなかった数十年前は
どうしていたのか。。
砂漠ってまったく水がないように見えて、
実は地下では水が川のように流れているそうです。
なので当たりをつけてふか〜く掘ると水が出てきます。
そこから井戸水としてくみ上げるわけです。

今では爆発的な人口増加してしまった都市や町中では
当然その水では供給がまにあわないのですが、
砂漠に住んでいる人達は今でもその水で畑に散水したり、
家畜に水をあげたりしています。
砂漠のなかに家がある人はその井戸水で生活をしています。
(私もまもなくその生活が待っています・・)。


で、さっそくその水飲んでみました。

マサーフィと同じ、そして日本の私の実家の井戸水と同じ、
無味無臭のやわらかいおいしいお水でした。

(郷愁そそられるから好きなんじゃなくって、
マサーフィ、ほんとに美味しいんですよー。まぁ水なんですけどもね。
ちなみにマサーフィの元になる水源は、
工場近くにあるUAEでは貴重な湖の水と聞きました。まだ未確認。
UAEに湖が存在するのか・・近いうちに行ってみます。)


*上の絵の解説ですが、別に当たりでもなんでもなく、
マサーフィ25周年を記念して作られたキャップと装飾が普段と違っただけの話です。
普段は青キャップ。記念ボトルは銀色(灰色?)キャップ。
でもあれからめぐり合っていないから、やっぱりとっておけばよかったかな〜。

2003.6.5


塩一杯かけたご飯で
おにぎりにしていただけるとなお結構。


いやいやほんとにめまいがしました・・。

今日は塩分の話。

こちらに来る前に「主食はカレーなの?」
とよく聞かれました。それはインド。

たしかにインドの人はむちゃくちゃ多く、人口ははるかにUAE人を超えているので
レストランもその系統が多く、カレーに出くわすチャンスも増えますが、
カレーはUAEの料理ではありません(料理についてはまた後日)。

チキンやラムのだしをベースに野菜をいれたスープでご飯を炊いたものや、
インドのナンとは違うのですが、ピタのようなパンが主食になります。

基本的に塩味が濃い。パンも塩分たっぷりです。
白米も食べますが塩を入れて炊きます。
UAEに来る前に一緒に料理をしたとき、これでもか、
というほど塩を入れているのにびっくりしましたが、
こちらに来てなるほどと納得。

暑いですからね。汗をかきます。体が塩分を欲するわけです。

こちらの食事に砂糖を使うことはまず考えられません。
日本だったら、醤油、砂糖、みりんの組み合わせは欠かせませんが
初めて私が料理に砂糖を入れたのを見た時、
相方さまは衝撃的だったそうです。
(今ではすっかりその味のとりこになっていますが。)

でもどうでしょう、暑いとはいえエアコンの中で生活し、
車の移動がほとんどで、日に当たらない生活を送っている現代のUAE人が
昔と同じペースで塩分の多い食事を取り続けて体は大丈夫なんでしょうかね〜。
DNAがそうできているんでしょうか。

この日、梅干を売っているところまで出かける時間も元気もなく
(だって1時間かかるもの・・)
結局、
砂漠に来る途中で買ったフライドポテトについていた塩をぺろぺろなめました。

それでもなんとなく体が塩を欲していたので、
「これを飲むと子供の頃を思いだすんだよねー」
という相方さまの思い出の飲み物を帰り道に購入。
(私にとってのヨークみたいなもんかな。知ってます?ヨーク。)

味は言うならば、「薄いヨーグルトの塩入り」。

マーケティングリサーチしなくても日本では絶対売れないと予測できる代物ですが、
これがほんと美味しかった。
240ml(1本)では足りず、2本目もしっかり飲んでしまいました。
(すっかり元気な今になっては、ぜんぜん飲みたいとも思わないですが)

「もうなにもできない、歩きたくもない。。」と思っていたのに
あら不思議、その30分後には大復活を遂げ、帰る予定を急遽変更。
その後のらくだちんの移動も、砂に埋まったタイヤの掘り出しも
すっかり楽しんでしまいました(この話はまた後日)。


ちなみにこの時思いついた「梅干入りのしょっぱいおにぎり」
これが海外で初めて本気で恋しくなった日本食です。


*それにしても、絵を描くのはおもしろいっ。でも時間がかかる〜。もっときれいに描きたい〜。

2003.6.7


先日の大復活後のお話です。

後で第2牧場の柵の一部が壊れているのを発見。大爆笑の夜でした。
3枚目の写真はこの日のほんとの写真。夢の中にいるような美しい瞬間。


すっかり絵日記のようになっているエッセイで、
こんなに飛ばして長続きするのかとても不安です。

さて今日はらくだちんのお話。

ここUAEのらくだはみんなヒトコブらくだです。
(フタコブらくだは中央アジア)
すっかり主たる交通手段は車になってしまいましたが、
砂漠地帯ではらくだが沢山飼われていています。
ミルクを採ったり、時には食されたり(こぶのあたりが絶品だとか。)
またらくだレースも娯楽のひとつになっています。

らくだレースからお話しますと、
「競らくだ場」ともいえるところでレースは展開され、
そのコースの周りを、らくだ主達が車に乗って「走れー走れー」と声を上げて
追いかけていきます。
このらくだレースの結果いかんで、そのらくだそのものやその子が高値で
売れるので、大事な宣伝の日でもあるわけです。

よくテレビなどで取り上げられるのは子供が騎手であることが
多いのですが、アダルトクラス、シニアクラスも存在します。

相方さまのおとうさんは、この辺りではけっこう有名なシニア騎手。
去年もおととしもそのまえもいい成績をおさめ、もらった賞金もかなりの金額。
賞品としてもらった、金で装飾された大きな剣をみせてもらったことがあります。

このちちにしてこの子あり。
相方さまも、子供の頃は賞金を荒稼ぎしていたとか(本人談)。
「大金だったのに、親にピンはねされて、10DH(約320円)だけもらって喜んでた」
そうです。(どこにでもある話なのね。)

この夏、もしチャンスがあればひさびさのレース挑戦予定(これまた本人談)。
またでっかい‘エッセイネタ’ができそうだとちょっと楽しみにしています。
でもいくら昔取った杵柄とはいえ、トレーニングもしてないし、微妙にでてきたその下っ腹で
賞金はおろか、らくだにひらりと乗れるのか?と私はかなり心配です。


さて、らくだはある程度の広さの囲いのなかにいることが多いのですが、
中には脱走してふらふら砂漠をさまよっていたり、町にふら〜っとでてきてしまったり、
道路わきを歩いているらくだもけっこういます。
それでも大概が自分の場所にちゃんと帰ってくるそうで、この絵の後の話になりますが
ガリーバにくっついてきた集団脱走らくだは
そのまま放っておかれました。(ガリーバは本人希望の第1牧場に再収容)

でも道路を集団でうろうろするととても危険なため、
お役人にみつかると没収されます。
あやうく上の集団脱走らくだチーム(このグループはたいがい集団で行動。でも
道路わきなどをふらふらしているらくだちんは、個人行動が多いようです。)も、
後日没収されるところでしたが、知り合いがみつけて連絡をくれたため、
無事、もとの場所にもどることができました。

らくだって遠くから見るとみんな同じに見えるのですが、
人間同様みんなそれぞれ顔がちがっています。
まぁあたりまえといえばあたりまえなんですが、
相方さまが
「ほらこっちをむいているのが弟のらくだ。」
「あのふらふら外をあるいているのはうちのらくだ。」
「あれはよそのうちのらくだ。」
と言っているのを聞いて
「いったいなにで見分けるの??」
とよく驚いていました。

でも先日近くによって
「これがガリーバかわいいでしょ。」
と紹介されてまさに「ビビビッ(古っ)」ときたわけです。

「か、かわいい!」
(ちなみに、相方さまはとてもラクダに似ています(かわいいかどうかは別にして)。
しかも共通点発見。「遠くで見るより近くでみるべし。」

「なるほど、みんなそれぞれちがうんだね〜」と
ようやく少しらくだちんたちの顔が見えてきました。
(でもそのあとみんなにまぎれたガリーバを見分けることは
ぜんぜんできなかったんですけども・・・だめじゃん。)

ちなみにガリーバとはアラビア語で「外国人、新来者」という意味。
幼い頃は「ムシャーケル」(問題児)という名前だったそうですがレースのときに
都合が悪い(呼びにくい)ので名前をかえたそうです。
でも相方さま曰く、彼女自身は「ムシャーケル」の方がお気に入りというので
これからはその呼び名で呼んであげようと思っています。

いずれにせよ「ちょっとかわったこ」という意味の名前をつけたかったらしく
というのもおちゃめないたずらっこで、一筋縄ではいかないタイプ。
でも「お馬鹿なほどかわいい」らしく相方さまの一番のお気に入りです。


いま、ふと思ったんですが、「ガリバーの冒険」ってお話のガリバーは
もしかしてこのアラビア語「ガリーバ」が語源??

*追加
らくだのミルクのお話。
以前らくだのミルク飲んでみました。採りたてだったのでとても温かく、味はとても甘い。
濃厚ですがにおいなどはありません。
「はじめてだから、少しにしておいたほうがいいよ」と言われましが
すっかりコップ一杯のんでしまいました。お腹もこわしませんでした。


おまけ
1.私の画力ではちょっとムシャーケル(ガリーバ)のかわいさは表現できないので
写真を載せてみました。移動のための紐がくっついています。口元に大注目〜!か、かわい〜。

2.町で出会ったゴミ箱をあさるらくだちん。
日本でいうなら「ゴミ箱をあさるカラスまたは猫」ってところでしょうか。


2003.6.9





今日は挨拶のはなし。(長めです。)
携帯電話はカードを買って番号を入力して使うんですが、
(携帯事情はまた今度)
この時残高が1分分しか残っていなかったんです。

でも1分って結構はなせるモンですね〜。

なんで彼がそんなに驚いたのか、
これには私が早口でびっくりという以外にも理由があります。

アラブ諸国では「あいさつ」というものがとても大事にされています。
さっきあったばかりの人に電話しても
「元気?どう?すべてうまくいってる?」はかかしません。

「さっき会ったばっかりじゃん。」−とはじめは思わずつっこんだものです。

2・3日会っていないお友達なら
「元気?どう?家族のみんなは元気?うまくやってる?
すべて順調?・・・」
など挨拶が延々、延々続きます。
なので1分では話がおわらない、というか本題にも入れない。


まだ私がアラビア語がちっともわかっていなかったころ、
彼が友達とかなり話している様子が伺えたところで
電話がぷつっと切れたときがあり、

「どうしたの?なんだって?」
と聞けば、
「電話がきれちゃってわかんない。」
「でも途中まではなしてたんでしょ。」
「いや、元気ー?って話だけだったから」
  ・・・・
「え!?それだけ?」

ーだってかなぁ〜りながい間話してたんですよ〜。
あれはぜったい1分超えていました。

(この話今回の絵の逆バージョンで描こうと思ったんですが、
根気がなくてやめました・・)

あいさつっていろいろあると思いますが、初めてあった友達には、
日本だったらたいがい「始めまして」くらいですよね。

こちらに来てすぐ、まだ習慣がつかめていないころ、
電話ですこし話したことのあるだけの、彼の友達に会う機会に恵まれて、
「はじめまして。こんにちは。元気?元気?全て順調?家族のみんなは元気?」
と立て続けにグリーティングワードを浴びせられました。

「こんにちは。ええ元気です。みんな順調です。ありがとう。あなたは?」
ーとその都度答えればいいことなのに
「元気?」→「はい、ありがとう、お元気ですか?」
「元気?(もう一回)」→「え、ええ元気です。ありがとう。」
「順調?」→「(いや、ですから元気です)ええ、はい・・あ、あなたは?」
「日本の家族のみんなは元気?」→
「(か、家族?話したことあったっけかなぁ。。お父さんはちょっと
腰の調子が悪いけど。。あとはみんな元気かな・・。)げ、元気です・・。」
とまじめーに質問として考えてあたふたしちゃいました。

この習慣に慣れるまで、
友達に会ったときの挨拶の様子は
私の目にはちょっとおもしろく映りました。

日本でいうならば
「それじゃー」「はいどーもしつれいしまーす。」
「はーい」「それじゃー」「それじゃー」「どーも〜」「ど〜も〜」
と別れ際にお辞儀をお互いし続けている様子を
第3者的に「いつまでこれは続くの?」と見ている感じ。
これも習慣になってしまえばなんてことないのに、ふと冷静になると
けっこうおもしろい所作ですよね。


挨拶は知っている人だけに限ったものではないんです。
たとえばエレベータの前で待っているときに、
ほかの人がエレベータに乗るためにやってきたとします。
お互い全く知らない者同士ですが、
「こんにちは〜」「どーもこんにちはー」
と一斉にそこでエレベータ待ちしていた人が挨拶をします。
山登り中にあった人同士がすれ違いざまに挨拶するかんじ。
(よく考えると、山ではするのに、
どうして他(まさにエレベータ待ちの時とか)ではしないんだろ>私も含めて。
ーでも三越のエレベータ(いやどこでもいいんだけど)で
みんなが挨拶してたらそれもちょっと妙だな。これが文化か。)

初めてこのシチュエーションに出くわしたのはどこかのオフィスビル。
状況がつかめなかった私。
思わずあとから「誰?知っている人?」ときいちゃいました。

これら習慣がどこからくるのか、
実は、「挨拶はとてもだいじなもの」と
イスラム教徒は教えられているからなのでありました。

でもあいさつって、したとたんに親近感を感じるので不思議です。
(そうじゃないあいさつもあるけれど。)

2003.6.10


今だなにが原因かわかっていません。
この話、まだ続くのでした。


この左足の不幸と時をほぼ同じくして、
右足の裏も蚊にさされたような赤みと痒みに始まり
次第に痛みだすということが起こりました。それも不思議なことに、
局所(痛みと赤み)が徐々に移動して行き、結局右足のできものは、
くろぶしのあたりまで来た後消滅していきました・・。なんだったんだ・・。
左足もようやく痛みがひけてきたのですが、
親指との境がなんとなく痛いのでとても嫌な予感がします。。


さて今日は虫の話です。

今日の絵に描いた出来事は、どうもなにかに刺されたことが原因のような気がしてなりません。
そう思っていたときに、バスタブで相方さまがこおろぎを薄茶色半透明にしたような虫を発見。
「これだよ。これに刺されたんだよ。」と撃退してくれましたが、
寝ていた間になにかあった左足はともかく、長時間座っていた間に起こった右足については
これが足元で刺したらならさすがに気がつくよ〜と思うのですが。。

いずれにしろ、なにか虫に刺されたのではないか・・と思っています。
両足とも、ことの始めは蚊に刺されたような感覚に見た目も痒みもとても似ていました。

ところで、年中夏気温のここに蚊は存在するのか。。

ここで何年か暮らしていた人は一度とも蚊に出くわしたことがなかったと話していました。
ここから離れた海沿いに住んでいるお友達も蚊にあったことはないそうです。
そのためフィラリア(蚊を媒介に感染する犬の病気)の薬も必要ないとか。
砂漠地帯にはボウフラが発生できそうな水がないのが理由のように思います。
また夏好きの蚊でもさすがに、こりゃないよ、と敬遠しているのかもしれません。

それなのに、
どういうわけか、
わたし刺されたんです。

こちらについて間もなく、
まだ蚊は暑いところならどこにでも存在すると信じていた頃のことです。
車に乗っているとき、なんだか足元がくすぐったいなぁと思っていたら
ぷっくりはれて痒くなりました。あの爪で十字をつけたくなるような腫れ具合。

その日ムヒ(液体はだめ。クリーム状が好き)をつけて寝床につくと、
あの「ぷ〜ん」という羽音が。手をぶんぶん振って見えない敵と戦いながら
寝不足のまま朝をむかえましたが、結局敵のほうが上手で、7箇所も刺されていました。

その後マット式蚊取り線香が売られていると情報を収集し
速攻買いに行ったのですが、その日から現在までそれを使うことなく何ヶ月も過ぎています。
そうなんです、その日から蚊に出会うことはぱったりなくなりました。

ほんとうにあれは蚊だったのか・・今でも謎に包まれています。
(相方さま曰く、とてもちっちゃいけれど蚊は存在するとのことですが。)


それから砂漠といえば浮かぶのがさそり。さそりのことをちょっと。
砂漠に出向いているわりに、まだお目にかかったことがありません。
夕方の砂漠によくいるそうで、相方さまの妹はもうなんども刺されているそうです。

さそりに刺されたと聞けばなんだか命を落としそうに思っていましたが、
実はそうでもないらしく、腫上がったり、時には熱を出す程度だそうです。
ただ免疫力の低い人が刺されると重症化するそうなので、ムカデみたいなもんですね、きっと。

以前砂漠の丘で寝たことがありますが、その時さそりを心配した私に
「丘にいればさそりはだいじょうぶ」と相方さまはきっぱり言い切りました。
でもそういいながら、ごそごそ手元で音がしたとき、ものすごいビビっていたことが
今でもちょっと気になっています。。
そのため、砂漠にいくなら丘にいよう!と一瞬思った素直な人がいましたら、
確たる証拠がなにもないことと、というか「私はぜんぜん信じていません。」ということを
付け加えさせていただきます。

最後に、どうしてもどうしてもどうしてもどーしても受け入れられない虫、
ごきぶりのことを少し。
(カタカナがいいか、ひらがながいいか何度か打ち直しているうちに
「ごきぶり」という響きがかわいらしく感じてきてしまいました・・。)

さすが何億年も世の中をわたってきただけあって、
50度の気温も、カラカラの乾燥も屁でもないそうで、
出るそうです(屁じゃありませんよ、ごきぶりが)。ここAl-Ainでも。
幸いまだ御本人たちにはお目にかかったことはありませんが、
ゴキブリ退治グッズがとてもリアルな絵ととともに新聞広告によく載っています。
こんなグッズ買わなくて済みますように・・とお掃除に励む毎日です。
(いや、毎日は言いすぎました、おかあさん。)

2003.6.11




先日の掃除つながりで。
ついこないだのできごと。
ある意味職人芸。(なんの役にもたたないですけど)


マサーフィの会社から表彰状をもらいたいくらい宣伝しちゃってますが、
今のところまだお礼のマサーフィは届いていません。そんな依頼もまだ来ていないんですが・・。

今日は「これでもかっ」というくらいやる気がおこりません。
更新を飛ばし続けた根気も、いよいよガス欠をおこしはじめたのでしょうか・・。早っ。

絵にある「鳥」については後日また。
ほんとに飲みっぱなしの犯人は私だったの〜?というお話も後日また。
で、気になる(ならない?)真っ赤な昭和期並みの掃除機についても後日またー!!

後日がくることを祈って、それではまた。
(私は昭和生まれです。)

2003.6.12


もしや新種の感染症??
話のみえないかたは、どうぞこちらを。
で、どうなったの?という方は、どうぞこちらを。


なんかわかりました。やる気のでない原因が。
これ、この足の痛み。
ほんと集中力も、やる気も持っていかれます。
みなさんもそうですよねっ。痛みがあるとそうですよね。
おとうさん、みんなそうだって。
今日は父の「集中力がたりんっ!心頭滅却すれば・・・」が聞こえてきそうです。)

それにしてもなんなんでしょうか。
まさかほんとに順番にまわってくると思いませんでした。
説明しようのない痛みと、説明しきれない不思議な気持ちでいっぱいです。

だいたい指一本2日間の割り当てで、次の指に行くときは
「あぁこれでよくなるのね」
と思えるくらい痛みが引けます。で、たいがい次の日に次の指が
「あかちゃんの足?」(にしては肌の瑞々しさはないですが)というくらいむっちり
しわがなくなるくらい腫れあがり、赤くなって痛みます。。

この毒素、このあといったいどこへいくのでしょうか。。
(それを知りたいのと、この痛いみから早く開放されたいのと、とても複雑。)

2003.6.14


ついに勝負がつきました。

実はまだちょっとだけピリピリしますが、
前日とは比になりません。ほぼ完全勝利宣言デス。


3回に分けてひっぱってきたこの話題もようやく終結を迎えることができました。
前回で親指まで痛みが来たとき、不覚にも「次はどこへ行くのかちょっと興味があるな・・」
なんて思ったことをこの夜とても後悔しました。

親指の先に行き場所がないことを悟った痛みと腫れは、それでもどこか次に行く場所はないかと
指先へどんどん移動し、追い詰められて岬の先端までくると、最後のあがきで猛烈に痛みを発揮。

ほんのりまだ赤い親指全体の中でも、先端は際立って赤々と火照っています。
しかも痛みが「指先」なので輪をかけて痛い。
心臓がまさにそこへ移動したように、指先から「鼓動」を感じました。
今思えば、次の行き場をさがそうともがく謎の痛み野郎と、それを止めようとする指先の善玉くんとの
燃えるような戦いのその鼓動だったのかもしれません。
まま、とにかくそういうわけで、この日痛みのあまりほとんど寝付けずぐったりでした。

でもほんといったいなんだったのか・・とても不思議な経験でした。

「親指を切って開いてみてみたいね。中でなにかが息絶えているかもよ」

ってすごーく他人事発言なんですけどー相方よ(様省略)。



*やっとやるきも復活。初心に帰って(?)再出発です。

2003.6.15


今日は父の日