絵とか、文字とか、写真とか・・。その日の内容と気力に合わせて変化します。




2003.6.16


今日は私の誕生日



やる気復帰第一弾、はりきって描いた絵が、絵が、えが〜!!
わりと素直なおりこうさんPCなので安心して描いていたのですが、
いきなり「ぷつんっ」と真っ黒に。私の頭は真っ白に。あぁぁぁっ。

そんなこんなでおたおたしていたら、
カレーを火にかけていたのをすっかり忘れてしまい、
ものの見事に真っ黒に。私の顔は真っ青に。。あぁぁぁっ。

誕生日なのにー。



ということで、今日は誕生日のお話。
海外留学者が増えたり、外国(特に欧米)文化が入ってきている今でこそ
「誕生日をオイワイする」という人も、ちらほら知人で出てきたそうですが、
そもそも、少なくとも相方さまの周辺では「誕生日を祝う」という習慣がありません。

「誕生日」というものに対しては、
「パスポートに記載されている生まれた日」くらいの認識なんだそうです。
きょうだいが何人かいますが、特にお祝いしたことはないし、
両親においては誕生日も知らないとの事。
もし「誕生日おめでとう」なんて言ってみようものなら
冷ややかに「何言ってるの?」とかえってくるに違いないと言うのです。

これって個人的な問題なんじゃん?と思ったのですが、
ここAl-Ain出身の友人に聞いてみても、同じような返事でした。
子供の頃であれば学校などで、また現在においては職場などで
誰かが誕生日を祝ってもらっていたのを見たとか、
またプレゼントをもらったとかあげたなど、
そういう経験をしたことは全くないそうです。

他にも結婚記念日や、・・(他に記念日がうかばない・・)とにかくあまり
個人的な出来事でのお祝いは、結婚式くらいしかしたことがないとか。
(結婚式は、これまた打って変わってとてつもなく盛大らしいのですが、
これについてはまた後日)

でも相方さま曰く
「あいつ(アブダビに住んでる友達)はどうかなぁ。都会人だからなぁ」。
私たちの住むAl-Ainは、 ベドウィン(遊牧民ーこれについてはまた後日)が多く住む、
紹介にも書いたように、都会とはちょっと離れた町です。
「都会で生まれ育った友人はまたちょっと違うかも」とネタ振りをしてくれたので
今度確認してみたいと思います。

相方さまに初めて誕生日を祝ってもらったのは7年前の今日。
まだその頃は「私に惚れてるんじゃないの〜?」と思うちょっと手前くらい。
お友達として誕生日プレゼントをもらいました。
(と私は思っていたのですけど、本人曰くちょっとアプローチだったみたい。いしし。)

まだ相方さまもアメリカに来て間もなくのこと。
私の誕生日が相方さまにとって生まれて初めての
「誕生日をお祝いし、プレゼントを人にあげる」
という経験だったそうです。

それから長いことアメリカにいたので、すっかりその習慣も身についたようです。
ということで
今日は大いに期待してみようかな。
「郷に入ったら郷に従え」とかなんとか言われてごまかされないようにしなくては。。


それにしても、たんじょうびかぁ・・。UAEで迎える初めての誕生日。
「超遠距離」というやつだったので、久しぶりに誕生日を一緒に迎えます。
いくつになってもなんだか嬉しい日。
ハッピーバースデーtoミー♪

*おそろしいことに、去年の相方さまの誕生日を
まったくほんとにすっかり忘れてしまっており、
数日後、さりげなく遠まわしに指摘され初めて思い出した。。ということがありました。
もう平謝りです。
今でも記憶力の話になると、そのときのことをちくちく言われますが
まさかその仕返しなんてしないよね〜。

2003.6.18


誕生日においしいご飯をたべに行くことになりました。
相方さまのお仕事の都合上お昼ごはんを食べることに。
ちょっと遅れて午後3時に到着。

居酒屋に行ったわけじゃないですよ。


今日は就業時間のお話。
以前なんどか気温の話を書きましたが、いよいよ本当に暑くなってきました。
気温も前より上がってきたなーと思いますが、
それよりも問題はやはり湿度でしょうか。
そうは言っても、入梅して毎日雨雨の日本よりはずっと低く、
相変わらず洗濯指数は3重○ですが、気温が気温だけに、
少し湿度が加わっただけでとても暑くなったように感じます。

小学校で習ったように、地球が太陽に一番近い時間よりも少し遅れて
気温は上昇していきます(じゃなかったかな。)。
そのため午後1、2時くらいになると気温はぐんぐん上昇します。

そんな時間にいったい外に人は歩いているのか、というより歩けるのか
とお友達からメールをもらいました。

「歩けないことはないけれど、極端に減ります」。

まったく歩いている人がいないわけではありません(あたりまえか)。
極少人数ですが、外での作業を続け働いている人達もいます(ご苦労様です)。
でも日中はとても閑散としています。
例えるならば、田舎の商店街の夜7時過ぎのような風景。
(私の田舎がそうだったので、そんなイメージ。)

お客さんも来ないので、閉まっているお店は沢山。
割と大きめなショッピングモールの(ヨーカドーみたいなもの)
中の店舗も、閉めてしまうところがけっこうあります。
みんなそろってお昼寝タイムとなるわけです。

こちらで主流なカフェテリア。街のあちこちで見かけますが、
安くてとてもおいしいサンドイッチがどこのお店にも置いてあり、
たいへんお世話になっています(それについてはまた後日)。
私たちのそのお店利用は日中が多いのですが、
営業していても、店主は中でお昼寝していることが多く、
「へ〜いなんでございましょう」と眠そうに出てきます。
時には無反応のことも。。

これがお店だけではおさまらず、公共機関も昼間閉まってしまうところが多いのです。
たとえば警察署。聞いたところによると、1時から3時までは閉まってしまうとか。
また、お役所仕事の関係機関はだいたい2時半上がりです。
エアコン完備で車での移動がほとんどの現代なので、もう少し長めにやっていただけると
ありがたいのですけれど。
(建物の中で使われるエアコンのエネルギーを考えると、利にかなっているのでしょうか。。いや、
でもみんな家に帰ってそれぞれがエアコンを使ったら、そのほうが使用エネルギーは大きな、きっと。)

それが、日も沈みはじめ、やや気温も下がってくる夕方5時くらいから
街は活気を取り戻します。
週末においては、もう「いったいどこから沸いてきたの〜」と
驚くほど街が人であふれます。お給料日はなおさらすごい。
そのためお店は遅くまでやっていて、
夜9時から10時くらいは場所によって渋滞になることもしばしば。
12時くらいまで開いているお店もけっこうあります。

子供たちも外で遊ぶのは夕方から。
かなり遅い時間(時には12時近く)まで外で遊んでいる声がします。

逆に早朝はどうなのか。
これで日本同様の「9時、10時開店」とあっては不便極まりないですが、
朝は早くから開店しているお店が沢山あります。
道路わきの植え込みの水撒きや草刈、芝刈り、街の清掃などは
早朝に行われている様子を見かけます。

先日車が故障して、板金やさんに置いてきたのですが、
次の日朝7時には、もうみなさんお仕事開始していて、
無事相方さまも車で出勤できました。
先に書いた公共機関も朝7時半くらいから稼動し始めるとの事。

こんな調子なので、午前中はお掃除して午後にお買い物、その他用事を・・
なんて思っていると、ちょっと痛い目にあいます。

「昼間はなにもしない。家で待機」という生活習慣に初めて違和感を感じた時、
「日本にいるときも、さして行動派だったわけじゃないけど、
意外に体にしみついた無意識の習慣があるんだなぁ〜」と、ちょっと感激。
これからもそんな発見があるかと思うと楽しみです。

ちなみに「気温が50度を超えたら仕事はしなくてもよい。」という慣例があるそうで、
「だからUAEの温度計は50度を指さないようになっているんだ」と相方さま。
事の真相はまだ明らかでないんですが・・。


*結局誕生日のお食事は次の日にかないました。おいしかった〜。
誕生日プレゼントは私の大好物の「ブシャーてんこ盛り」。
日本ではランブータンと呼ばれている果物です。2日でたいらげました。
ブシャーの皮は、乾燥させて愛らくだムシャーケル(ガリーバ)に。彼女も好物だったみたい。

おまけ

2003.6.20


今日妹からメールが届きました。


もうすぐ私はなももも、叔母になります。

妹から時々「しもちゃんアップデート」という題名でメールが届きます。
「しもちゃん」とは、おなかにいるあかちゃんのことをそう呼んでいるのですが、
初めての超音波の写真をみて、妹のだんなさまが「指紋みたいだね」と言ったのが
きっかけ。「ちゃん」がくっついているからかわいく聞こえるけど、それとったら。。
そう言ったらおしかりをうけました。

妹のだんなさまは漢字も書けるアメリカン。四字熟語においては私より知っています。
まぁ比較されるのが私とあっては、彼も不本意だと思いますが。
ビールが好きで、カメラを向けられると完璧までの笑顔を瞬時に作れ、
おやじギャグも躊躇なくさえまくり、世界を股にかけて仕事をするくせに、
マラソン大会でもらった大会名入りT-シャツを、擦り切れるまで着つくすナイスガイです。
しかも見た目はけっこうかっこいい。いい男です。脱がなければ(腹)、しゃべらなければ〜。

そんなだんなさまを持つ妹は、この夏あかごをその手に抱く予定です。

それにしても、赤ちゃんの姿をまだ見ることができないだけで
あの妹も、もうすっかり母なんだな〜としみじみ。
今日ついたメールに、こんなことが書かれていました。

「今日嬉しいことがありました。出勤時の電車で相変わらず
行動がおそいので席がとれず「まぁ2駅だからがんばろうね」と
しもちゃんに話かけました。(ここで、はなももはちょっと涙)。
そしたら席についたばかりの40歳くらいの男の人が「すぐおりますから」
と言って席を譲ってくれました。
でもその人は結局私よりあとの駅で降りるようだったので、駅についてからお礼を
行って席をかえしました。うれしかった。」

「それから、いつもだったら起床時はあまり動かないしもちゃんが、
今日はとてもよく動きます。朝トラパパ(仮称)と電話で話したんだけど
パパからだってわかったのかな。(はなももここで号泣)」

しもちゃん、きみまだその姿を見せてもいないのに、すごいなぁ〜。

生命を宿したという事実だけでなく、そこから派生する出来事から
たくさんのことを感じて、学んで、妹はゆっくり、そして確実に母になりつつあります。
時々見る写真の中の妹の顔は、明らかに強く、美しく変わってきています。
そこだけにおさまらず、その妹から発信されたものが、家族などその周りにじんわり広がり、
それぞれがそこから何かを感じています。
私のように、今日のメールになんだかこころあったまるような、人にやさしくできるような
そんな気になってみたり(単純なのか?)。

「生命」を1通のメールから感じた今日一日でした。


しもちゃん、みんな楽しみにしているからね。
ーっつうかしもちゃんってどうなのよ。と、はやくおばちゃんと語れるようになりなさい。
(何年後の話なんだろ、楽しみ。生まれてすぐはいやよ。さすがにそれは怖いから。)

*妹はキリン、だんなさまはトラの置物収集家。
ティガーも時には日の目をみせてやってね>私信。トラパパ(仮称)へ。

2003.6.23


アラビア語の学校(塾?)に通っています。


単数、複数に加えて双数用の単語まであるときた!
しかも形容詞までもが双数用に変化するとか・・ぬおぉ〜。


アラビア語といえば「あのミミズみたいな字??」と
よく言われますが、そうですそれです。難しそうに見えますが、
発音するという意味での「読み」、文字を書くだけといういみでの「書き」、
それと「文法」の3つを比べたら断然「書き」は楽チンなのです。

他の国の人が日本語の「書き」を習うより何倍も、何百倍も楽チンです。

アルファベットは基本的に28(29)しかなく、
あとは草書のように続けて書きやすいよう、
それぞれの文字が単語の前、中、後ろにくる用にちょっと形がかわるだけ。
そのためお絵かきのように覚えやすいのです。
しかも流れるように書けるので、楽しく、そしてとても美しい文字です。

「読み」はフランス語なんかのように(私は仏語はまったくわかりません。
なんとなくTVなどで聞いたイメージから)日本語には直せない発音が存在します。
勢いあまってタンがでないかと心配になることも初めはありました(お食事中の方すいません)。
喉の奥(?)を使って出す単語があり、そのため今だ授業が終わると水が欲しくなります。
(そんなときこそマサーフィ)。

一番の難所は「文法」。世界3大難文法(by 相方さま。他の2つはわかりません。)に入る言語では・・
と思えるくらい複雑なんだそうです。
聞くところによると、ちゃんとした基本の正しいアラビア語を話し、
それを説明できる人は本当に少ないそうで、
そんなに難しい言葉を、私はいったいいつか習得できるのでしょうか・・

そういえば、ちょっと前になりますが、成田空港でチェックイン待ちで並んでいると、
前にいた30代後半くらい(ちょっと若く見積もっておきました。念のため。>なんの?)
の女性が、
「いやぁ10年アラビア語勉強したけど、ほんとマスターできない。」
と力説しているのを聞いてしまいました。

・・・・
しかし、だからこそやりがいがあるというものだっ!(と言い聞かせてみる)

(実際のところは、確かに簡単ではないけれど、きれいな正しいアラビア語をお話になる
外国の人、日本の人もけっこういると聞いていますので、やってできないことはないのです。
ーまぁそりゃなんでもそうですが、ある程度のところまではそれほど手のとどかないことではない
という意味で。)

しかしアラビア語を学ぶ上でさらなる難所があったのです。

正しい日本語を学んだ外国の人が、関西や東北など方言の強い地域にいき
話すことはできるけど、聞いてもちっともわからない・・ということが起こるのと同様に、
それぞれの地域に行くと、アラビア語もいろいろ変化を遂げていくわけです。

先ほどから出ている「基本のアラビア語」とは、
イスラム教の正典「コラーン(コーラン)」に綴られているものですが、
アラビア語を使うUAE、サウジアラビア、カタール、クウェイトなどの国に行くと、街では
それぞれのお国バージョンにカスタマイズされたアラビア語が使用されています。
「基本のアラビア語」はわかるけど、普段の話し言葉ではあんまり使わないよ〜となるわけです。

そのため必死でいまやっているアラビア語がちっとも町中では聞かれない・・
という現象がおきてしまいます。
実際の生活での応用頻度が低いので、「いったい何を勉強しているの〜」と
下がる勉強へのモチベーションを保つのは、根気のないわたしにとっては一苦労です。

じゃぁUAE語を覚えればいいじゃんという話になりますが、まず基礎を学んでこそ
次のステップへいけるのではないかと思うので、このままこのスタイルでがんばります。

ーということですお母さん。見てますか〜。
この夏帰国時に
「数ヶ月もいてぜんぜん話せないのっ?」
と質問された時のために、いまのうち伏線を張っておいてみました。

今日は母の、「結局努力がたりないんでしょっ」という声が聞こえてきそうです・・

(その前にこの日本語をなんとかせー、という手痛いつっこみは謙虚にお受けいたします。)

2003.6.25


5年位前、日本でのこと




アラビア語がとんちんかんだったころ、必死に「ほらほら」と言われても
なんのことかわけわからず。説明されても、結局「ふ〜ん・・」と
国際カップルの「見えない壁」を感じながら、この話題は流れていきました。

アラビア語を勉強し始め、ずいぶん後になって
「あぁっこれが言いたかったのか!」と気づいたわけです。
相方さまもこのできごとを思い出すのに一苦労するくらい時は経っていました。

ムハンマッドをアラビア語で書くととなります。
もうすでにちょっと「コロコロ」に形が似ていると思いますが、
これはの4つがつながって書かれ、こういう形になります。
(右から左に読むのですけれどね)

日本語でも例えば「ぱめら」(なんだか意味のありそうな言葉ですが、まったくありません)を
もしくは
と書いても「ぱめら」と読めるように、
多少の変形があってもまったく支障はありません。
日本語同様、看板や雑誌、何かの挿絵などで、
いろいろ飾り文字のように変形させたアラビア語がみられます。

で、先述のムハンマッドものようにちょっと変形させていくと
さらに「コロコロ」に近づいていくわけです。

この時たまたまこのコ、ロ、コ、ロ、が下線で結ばれていたので
相方さまにはこれは「ムハンマッド」の他なにものでもなかったわけです。

ちなみに、この、例えばと間をなが〜く書いても
まったく読み方も意味も変わりません(ムハンマッドは人の名前です)。
「むーはーんまーど」となるわけではないんです。
なのでそれぞれの間を長く書いてみたり、ちょっと変形させてみたりと
いろいろいじってみることができ、以前書いたように私にはお絵かきをしているようで、
アラビア語を「書く」というより「描く」と言う感じ。

でも相方さまに言わせると、アラビア語と比べ物にならないほど難しいけれど、
ちょっとかじってみた日本の文字は、
彼にとってはやはり「書く」というより「描く」というイメージなんだそうです。



おまけ
文字の練習をしたノート。小学校でおなじみの「ドリル」をちょっとおもいださせます。

2003.6.27


これは去年の夏の話。


ほんとに偶然、その日流星群だったんです。
いやぁ〜それはそれは見事でした。
いったいいくつ見たのかもうすっかりわすれちゃいましたけど・・。

ちょっとこんもりと盛り上がった小高い砂丘の上で食べたのですが、
大して鋭角にもなっていない丘ですが、一面は暖かく、反対側一面は
(影になっているわけでもないのに)ひんやりしているんです。
もろに太陽の向きが影響しているんですね。

以前砂漠は一日の温度差が激しいと書きましたが、この日日中40度、
夜中はちょっと肌寒いくらい。世が明けて朝方6時頃は27度でした。
砂漠の夜は夏でも寝るには寒いくらいだったのですが、掛け物を
持っていなかった私たち。でも砂を掘って足を中にいれて寝れば
ぽかぽかと気持ちがよかったです。

ところで、ときどきあるのですが、この日も腰から足にかけて重だるく、
なんとなく身の置き場がない痛みが一日中続いていました(神経痛?)。
でも、一晩砂の上で寝たら、朝にはすっかりよくなりました。
温泉にある砂風呂みたいな効果だったのかな・・。

「Al-Ainの砂効果・効能:腰痛、神経痛、婦人病、生理痛、美白、痩身、脱水」
(後ろ5つはまだ未確認・・あ、でも最後の項目については日中使用に限り保証します。)

後日談:この日があまりにもいい思い出だったらしく、
結局その丘に家を建てることになりました。
ただいま建設中。家の建て方がこれまた興味深い。この話はまた後日・・。



おまけ
1.夜の砂漠は真っ暗。ついた手の元でごそごそ音がしても
     なにがいるのか全く見えません。
     で、「このへんか?」と思われるところをねらってシャッターを
     押したら、カブトムシのような甲虫が写っていました。
     さそりじゃなくってよかった。

2.砂漠で見る夜明け

2003.6.29

号外新聞も出て発表されます。
また今日では、ネットのほかに携帯電話での
メッセージサービスでも結果を見ることができます。



ちなみに、名前は仮称ですが、この出来事と相方さまの点数はノンフィクションです。

6月28日の夜、相方さまのすぐ下の弟から、一番下の弟が高校を卒業できるかどうか
インターネットで結果を見て欲しいと連絡が入りました。
もうここUAEでは学校は夏休みに入っています。アメリカなどと同様、
新学期(学年アップ)は9月から始まります。

しかし、「夏休み〜♪」と浮かれる前に、
「これで高校を卒業!ーの予定!」である3年生にあたる学年にとっては、
今日は重大な結果発表の日。
いやおうなしに全国に自分の最終成績が知られるという恥ずかしさ(人によっては誉れさ?)も
ありますが、それよりなにより「卒業できるか」という不安があるわけです。
(いや、不安になるのは相方さま含めごく一部かも。。)。

で、さっそく(文部省にあたる機関の)ウェブサイトを開いてみました。

上位の者の結果は一日早く出ます。上位と言ってもそれぞれの学校で、
という意味ではなく、国内の上位者です。
高校の2年生にあたる年に、いわば文科系、理科系と別れるそうですが、
ウェブ上にはそれぞれの上位トップ10が載っていました。

上から順番に見ていきます。

そこで発見したことがひとつ。

なんと上位はほとんど女子生徒が占めているのです。
文科系も理科系も。
100ポイントが満点になるわけですが、トップは99.9。
数人存在しましたが、全て女子生徒でした。
面白いのでちょっと数えてみると、理科系において上位23人中男子生徒は4人。
トップ10は合計80人でしたが、
男子生徒はなんと24人と半分も占めない数でした。

相方さまは大学(男女とも)で教鞭をとったりしていまして、
「も〜男子生徒のおたんちん具合には疲れる・・」とよくこぼしていますが、
どうやらその傾向は若い頃から見られるようです。
(まぁ100ポイント中57.2で卒業した人が言うのもどうかとおもいますけど)

このリストのトップに名前が載るということは、それはそれは親孝行なことなのです。
それは、鼻高々に「いやぁうちの子はリストのトップにのりましてね。」
と親戚一同に自慢できるだけではないのです。
国内トップ3に入れば、大学の授業料を国がバックアップしてくれるからなんです。
それは海外に留学しようと関係なく。またUAE人である必要もないそうです。
さすが、太っ腹。

でもこれだけ国が心血注いで教育に力を入れても、国にその人的財産が残らないのでは
ちょっともったいない気もしますが、実際はどうなのでしょう。。

さて、弟の名前はこのトップくらすのリストには載っていませんでしたが、
無事次の日の今日、ネット上で名前を確認しました。
今夜には号外新聞がでるということで、さっそく街に出た際新聞を購入。
夜はみかけない道路での新聞売り。でも今日は別。街のあちこちで
新聞を売り歩いている人を見かけました。

30頁に亘ってずらっと書かれた名前の中に、弟の名前を見つけ再確認。
どうやら相方さまよりはよい成績で卒業できたようです。

*絵の補足
まさに相方さまの名前が読まれる直前に、読み上げている人が水を飲んだそうで、
一瞬のことだったのに長く感じられたとか。
ネタまみれの人生を送ってきたことが伺えます。
出会うべくして出合った人だ。。と、この話を聞かされしみじみそう思いました。
これからも(ネタ提供)どうぞよろしく。
気になるお母さんのお話はまた後日。