絵とか、文字とか、写真とか・・。その日の内容と気力に合わせて変化します。


2003.11.17



「4649!」のように「132」がアラビア語での
     語呂がよかったのかというと、そうではないのです。



今日は「コネ」のお話。

番号は日本のナンバープレートのように最高4桁ではなく、
登録数が増えていくほど番号は長くなっていきます。
「41892」のように。

そうなると1桁や2桁、ちょっと多めにみて3桁くらいまでの数字は
取れる人の数が非常に少ないわけです。
1桁なら1エミレイツ(州みたいなもの)各に9人、2桁なら、、そこは計算してみてください。
とにかく、そこで希少価値が生まれます。
「希少価値」。何故か人間この響きにとても弱い。

ここまではどこにでもありそうな話なのですが、ここからがここならではの展開で、
今日のお題「コネ」につながっていきます。

ナンバープレートは車を購入し、警察で手続きをするともらえます。
今では日本でも希望の番号を手にいれられるようになりましたが、
ここでも多少の希望は通るわけです。でも当然「希少」ナンバーは
数が極端に限定ですので、普通には手に入らないわけです。

ではどうするのか。

「コネ」の登場です。
警察のお偉いさんに知り合いがいる、大統領関係の親戚筋に知り合いがいる、
きょうだいが、友達が関係機関に勤めている・・などのコネを利用して
自分の欲しいナンバーゲットに画策するわけです。

この「コネ」は周知のため、
「あんな希少なナンバーを持てるということは、だれかお偉いさんに知り合いがいるか、
そんなお偉いさん本人に違いない」という「希少価値ナンバー」にさらに付加価値がつくのです。

そんな理由でこの桁の少ないナンバーは変な威力を持ち合わせています。
(たとえば駐車違反していても、レッカー移動なんて警察もびびる・・とか。)
たかが番号、されど番号。
その希少な番号を高いお金を払ってでも欲しいという人は少なくなく、
そんな人を利用して高く売りつけようとする人も当然現れるわけです。
そしてさらに「高く売れる」という付加価値がつく・・。

「数が少ない」という意味で例えば「88888」とか「12345」など
並びがいいナンバーも、コネでゲットしたものが多いとか。

生活しているうちに、色んな場面で「な、なんて堂々としたコネ社会なんだ・・」と気づき、
それと同時にナンバープレートの仕組みも理解でき、
相方さまの「ナイスなナンバー発言」もなるほど納得。

ただ、人間関係を大事にするアラブ社会。
「コネ」はゴク親しい友人であるとか、とてもお世話になった人であるとか
そういう関係から生まれてくるもののようで、その為
ちょっとした知り合いだとか、そのまた知り合いだとかそういう関係では
発生しないもの。

外国から来た人にすれば「なんて不公平な制度なんだ!」と鼻息あらくなりそうですが、
本当に古くからここで生活している人には、さして特別なことではなく
「お、困ってんの?いいよ、聞いてみてあげるよ。どうにかなるよきっと。心配するなって友よ。」
てな感覚。シンプルといえばシンプルな社会。

ちなみに相方さまの車のナンバーですが、
私の小さいメモリーではとても記憶にとどめておけない
なんの並びも持ち合わせない、なが〜いなが〜い番号です。
あぁ小市民〜。




*ちょっとお役立ち情報。
みなさん、もし日本で車のナンバープレートを拾ったら必ず警察に届けましょう。
「おもしろいもの拾っちゃった。コレクションのひとつにしよう」
なんて思って大事にとっておくとしょっぴかれてしまいます。
拾ったナンバープレートをトランクに入れたまま、警察の検問が厳しい
成田空港に入ったりすると、警察署で何時間も拘束されて取調べを受けます。
妹のだんなさま、前科者にならなくってよかったね。

2003.11.19



この歌って全国区?



このあたりには、おもしろい言い伝えがあります。
「妊娠中の奥さんが『○○が欲しいっ』と欲求をもよおしたならば、
だんなはそれを満たしなさい。さもなくば
赤ちゃんに災難がふりかかるよぉぉ〜。ひー>っひっひっひ」という
だんなさんにとっては悪夢のような言い伝え。

相方さまのお兄ちゃん、
真夜中に妊娠中の奥様が起き上がり、「マンゴが食べたい」と言いだしたから、
さぁ大変。
大きなスーパーもさしてなかったこの頃、真夜中だし、季節が違うので家にも買い置きがない。

しかし、わが子に何か起こったら困ると、丑三つ時に実家へ出向き
「マンゴない〜?」と眠い目をこすりながら物色。
幸い半分腐ったマンゴを台所で発見。「腐っていようがマンゴはマンゴ」と持ち帰り
奥様は腐ったマンゴで無事欲求を満たし、やれやれ。。と床についたそうです。
そして腐ったマンゴの甲斐あって、無事元気な長男を出産。

で、上の絵のお話。
相方さまを妊娠中のお母さん
やはり「○○が欲しいっ」(この○○がなんだったのかはいまだ謎)と突如思ったそうですが、
それと同時に目の前を蛇がスルスル〜と通過。
相方さまのお母さん曰く
「だからあんたの中指は蛇の頭みたいなんだよ。」
(つまりはその「○○が欲しい」と思った瞬間ってとても大事ってことらしいです)

相方さまの左手の中指は、単に短いというだけではなく、
関節もちょっと私とは違っています。爪もかわった形。これは生まれながら。
なるほど確かに「蛇」という形容がぴったり。

「ふふふ〜ん。中国での言い伝えではね、この3本指が同じ長さの人はお金持ちになれるんだよ。」
と、自慢げに言っていた相方さま。
その指に賭けてここまでついてきたわけですが、いまだその効果現れず。
そこで達した結論は、
『中国での言い伝えは、中国人にしかあてはまらない』

そんな今更っ。
ーというかそもそもそんな言い伝え、ほんとにあるのかそれが怪しい。

2003.11.21





大事な手術まであと数日。
どーでもいいときにダラダラ家にいたくせに、
肝心なときに傍にいられなくってゴメンナサイ。

根拠もないくせに、いつもみたいに「ぜったい大丈夫だよ」って相方さま。
今回は100%信じるよ。

考えていた来年の1月じゃなくって今年中に手術になった理由が今わかった。
色んな大変なことは、今年のうちに終わらせてしまおうということだ。
それで、ももも一生分の病気をこの一年で終わらせたとゆーわけだ。
来年はきっとばら色の人生がまっているに違いない。
来年の今頃はここで一緒にキャンプだね、お父さん。
お母さん、くれぐれも無理はしないと約束してね。
妹よ、不甲斐ないネーちゃんでごめんよ。よろしく頼んだ。
弟よ、「チチシュジュツ ハヨカへレ アネ」

2003.11.26




2003.11.29

ラマダンが明け、イードというお祝いの日を迎えました。



つまり、
神戸ルミナリエ(行ったことないけど)やNYセントラルパークもびっくりの
クリスマスイルミネーションを思わせる電飾(センスの良し悪しは別として。)、
大売出しのお店と、買出しの人でにぎわう年末のような街なか、
新しい気持ちで襟をただして迎えるお正月のような気持ち、
量はしょぼいけど個人でやっちゃうところがすごい日本のお祭りを彷彿とさせる打ち上げ花火、
私がこれまでに経験したワクワクするイベントを「ぎゅ」っと詰め込んだ、そんな感じ。わかって。



イードの日、それぞれの家ではご馳走が作られ、イード用の甘〜いお菓子が準備され、
また新調した服や靴を身につけ親戚等へのご挨拶周りをします。

子供たちはお年玉のようにお小遣いをもらいます。
親戚や知り合いにかぎったものではなく、
ハロウィンのようにどこからか子供が来て「イードおめでと〜」と
家をノックし訪ねてくることがあり、
ハロウィンでいうところの「飴やチョコ」のかわりにおこづかいを渡します。

ラマダン終了のイードは3日間。仕事も学校もお休み。
なんとも日本のお正月を思わせる慣習です。

このイードの前日は、準備に追われてこれまた日本の年末のようなさわぎ。
ただひとつちょっとおもしろい(?)イスラム社会でのならわしがあります。

本来、全ての人が平等にと願うイスラム社会。
殊にラマダン期間中は「分かち合う」ことが大事にされ、一定の財産を持っている人
(別に「お金もち」に限らず普通に生活しているだいたいの人があてはまる)は、
その持ち合わせている財産に合わせて一部を
自分より生活に困っている人に渡すことが求められています。
それによって全ての人がイードをお祝いできるように。
「義務」ではあるのですが決してだれかがチェックしているわけではないので、良心に基いて。

その計算方法はものすごく具体的。
そこからはじき出した金額分、衣類や食べ物やお金で生活に困っている人に分けるわけです。
それは信頼できる寄付をうけつけている機関でもいいのですが、
自分でそういう人をみつけて直接渡してもオッケー。

私たちは後者をとったのですが、これでこの人がイードにおいしいものを食べられるかなぁ〜
と思うとなんだかちょっと嬉しくて気持ちよくイードを迎えることができました。
目に見える財産と引き換えに、いー気持ちを分け与えてもらうという徳を得るので
これでイーブン。どちらかが偉くどちらかが遜るなんて考えは無し。
「宿題提出」みたいなある意味義務なので、偽善的な意味合いももたず
とてもストレートで私は好きです。

ラマダンもイードも私は初めての経験。
「ね〜今もっている貴金属で「金」でできている物ってどれくらいある?」と突然聞かれ、
「え?婚約指輪でしょ、ピアスでしょ。。」と考えるまでもなくすぐ浮かぶ知れた数の
金でできたアクセサリーを申告すると、
「えっと、その指輪はいくらだったっけ。」と換算し始めた相方さま。
その真剣なまなざしに
(あ〜ついに質にださないといけないくらい生活にこまってしまったのね)と
中国の中指の言い伝えを恨めしく思いながら、日本での出稼ぎをいつから始めようか本気で考えた私です。
実は財産計算に必要だったそうで、とりあえずは人に分けるくらいなんとか余裕はあったのねと、
おいしいイードのお料理を食べながら感謝、感謝。
これからも一層身を粉にして稼いでください。愛しているよ相方さま。




まもなくUAEは建国32年を迎えます。それもあって電飾はさらに華やか。