絵とか、文字とか、写真とか・・。その日の内容と気力に合わせて変化します。


2007.9.22



1400万円の車を
買おうってわけじゃありませんけれど。


今ではいろいろな意味ですっかり日本でも有名になった、
UAEの首長国の一つ「ドバイ」。その公共機関のCMなんですが、
この他、コーヒー一杯600円、サッカーボール3000円、化粧品15000円、
サングラス30000円、フランスへの旅行600万円・・等等
色んなバージョンがあります。
しかし、公共機関の人々への呼びかけが、車1400万円、フランス旅行600万円って。
なんともドバイらしい話です(そういった財産を持つ人がいっぱいいるドバイ)。

9月13日から、日本では「断食月」と呼ばれるラマダンが始まりました。
断食月といわれるので、断食することだけが注目され
この月は飲み食いを我慢する厳しい修行の月だと思われがちですが、
本来の意味は、断食そのものにあるわけではありません。
そのため、修行僧のように断食して冷水にあたりながら
精神を統一し・・とそんなイメージとは程遠く、
眠いし、疲れるしで日中はみんなだらだらぼーっとしています。

話はずれましたが、
ラマダンはイスラム教では「聖なる月」。
この間に、普段満たされている欲や贅沢を抑え、それらに感謝して、
満たされない立場にある人を思いやり、「分かち合う」ことを徳としています。
そのためラマダン中は、あちこちに無料で食事が配られる場所が設けられ
また家族以外にさらに食事を準備する余裕があれば、その家庭では
余分に料理を作って普段食事を満足にとれない人たちに
わけたりするわけです。

「分かち合う」のは食事に限っていません。
ですので、寄付の呼びかけや場所が普段より多くなります。
「赤い羽根」「年末助け合い運動」など日本にもありますが、ちょっと違うのは
もっと「寄付」ということが特別なことではなくて生活に根付いているということで、
こうして公共機関も積極的に動くということでしょうか。

寄付って、「ほんとうにちゃんと必要としている人のところに届くの?」と
不安になってしまう残念な世の中ですが、そういう意味では
安心して寄付できる社会になっています(と願いたい)。

この寄付を「ザカート」といいますが、
日本語の「寄付」が、「善意」とか「親切」といったものに基づくのに比べ、
以前書いたことがありますが、ザカートは、イスラム教徒としての「義務」になっています。
ことにラマダン中のザカートは、寄付する金額もきちんと計算方法が決まっていて
自分の持つ財産(その対象となるものも決まっています)から
寄付するべき金額を計算ではじき出すわけです。

テレビを見ていたら、必要事項を画面に記入していくと、
自分のザカートの料金が計算されて出てくるという、
インターネットサービスのCMが流れました。
自分の寄付すべき金額をインターネットのサービスで計算するー
イスラム教の立ち上がったその昔から続く文化と最新技術の融合です。

さて、テンション下がったはなももさんちの「欲」事情ですが、
物欲をコントロールするって大変です。以上。



2007.10.9


ラマダン中の我が家の朝


人間の体60%も占める水ですので。



過去にも書きましたが、
ラマダン中の断食は、約1ヶ月の間ずっと飲まず食わずでは
生きていけませんので、この間毎日、日中だけ断食をします。
朝日が昇るその瞬間に、朝のお祈り時間を知らせる「アザーン」があちこちにある
モスクから流れるのですが、それがその日の断食時間の始まり。
終わりは、日が沈んだ瞬間に流れる夕方の「アザーン」が合図になります。

その昔は、それぞれのモスクが目測で太陽を観察してアザーンを流したそうですが、
今では時計もありますし、ラジオやテレビなどのメディアを通して
お祈り時間もわかるので、それぞれのモスクでアザーンが大きくずれることは
ほとんどありません。でも、全てのモスクに時報がついていて機械仕掛けに
ぴったりの時間にアザーンが流れるというわけでもなく、あっちのモスクで
アザーンが流れているのにこっちではまだだね・・ということもあったりして、
人間味があって、そのちょっとした時差でモスクから流れるアザーンが
輪唱のようになる瞬間が私はとても好きです。

その日の断食時間が明ける、夕方のアザーンが流れたまさにその時に
なにかを口にして断食を終えるということは、とても大事にされています。
「ちょっと用事をしているから、それを済ませてから食べよう」という
のではなく、水でもなんでもいいので、「その瞬間」に何かを口に含みます。

時差がある場所では当然その時間はそれぞれ異なってきますが、
少なくとも時差のない国内の断食をしていた多くの人が、
この瞬間にみんなが一斉になにかを口にして、
「あ〜おいしいなぁ、ありがたいなぁ」と思っていると思うと、
なんだか感慨深いものがあるものです。

ちなみに、断食明けのこの瞬間口にするのはほんの少し。
少しだけ飲食した後お祈りをし、そのあと本格的に食事に入ります。
そのため、胃は「空腹に突然の食事」にびっくりするということなく、
ゆっくりと食事を受け付ける準備ができるというわけです。

アザーンはテレビでも流れます。
その間、生放送だろうとなんだろうと中断されてアザーンが流れることが
ほとんどですが、殊にラマダン中の断食開始と断食明けのアザーンは普段
そのままテレビが流れているチャンネルでも、その番組は一時中断され
アザーンや、「只今お祈り時間の合図中です」とテロップが流れます。
先日、外国のスポーツの解説を生放送でしていたんですが、
やはりアザーンの時間はテレビが中断されました。
といっても、約2分〜3分くらいのお話、すぐに番組に戻ったんですが、
テレビに出ている人たちも断食をしている人たちですから、
その間にやっぱりお水やなにかを口にしているんだそうです。


さて、そういうわけで、ラマダン中の生活パターンは、朝のアザーンはまだ早朝も早朝、
真っ暗。多くの人は、朝食を採り、お祈りをして、また一寝入りして
仕事や学校にでかけます。通常は仕事も学校も早めに終わり、
帰って来て昼寝をし、「イフタール」という断食明けの食事を採り、そこからが
今日のスタートといわんばかりに、家族や友達などと集い、食べたり飲んだり話したり・・と
夜中までお店も人も起きているようになり、人々は「夜型人間」と化していきます。
といっても、ラマダンでない普段から、夕方から夜にかけて人も町も
活発になる国ではあるのですが。

我が家では朝のお祈りのあと、ワンコの散歩という日課があるため、
朝は寝ている場合ではありません。
そうなると、もともと昼寝体質でない相方さまも私も、夜は小学生もびっくりの、
今時だったら幼稚園生だって起きているかもしれない時間には
眠くなってしかたがないわけです。日中にお腹が空くとか、喉が渇くとか
そういうことよりも、ラマダンの最初の数日はこの時間帯に慣れるまでが
時差ぼけの如く毎回大変なのですが、3日目くらいには、いつもにも増しての
早寝早起きの健康生活にも、体がしっくり慣れてきます。


でも、今年は相方さまがラマダン中に「歯の治療」をすることになったため
例年とちょっと違うラマダン生活ペースとなりました。
歯の治療はラマダン明けに・・ととりあえず予定はしていたのですが、
いつまでもだらだら治療せずにいたので、歯もさすがに「今、やっとけ!」と
言いたかったのか、いままでも痛みがないのが不思議なほど、ひどい状態では
ありましたが、ラマダンが始まってすぐ、突然の歯痛でえらいことになりました。
で、なぜ歯の治療が「例年と違ったラマダン」となるかといいますと、
歯医者さんも開院時間がラマダンモードになるからです。

最初の治療の予約は、なんと夜9時。
それでおどろいていたら、次は10時、10時半と、
いつもの私たちにしてみたら夜中の治療です。
それでもやっぱり他にも患者さんはけっこういるそうです。
先日は家に帰って来たのが、夜中の1時半。
治療も時間がかかったそうですが、それだけではなく、
とにかく夜中に人が溢れるので、日中はゴーストタウン化している町も
大渋滞で身動きが大変だったとか。仕事でも遊びでも夜は(砂漠以外)ほとんど
外にでない相方さま、歯医者さんで初午前様です。
夜の治療となると、子供なんて大変だな〜と思いますが、
子供も例外なく夜の通院になります。といっても、夜8時開院なので、
できるだけ早めにと、配慮はされているようですが。
(外国の人が多い国ですので、日中開いている歯医者さんも存在します。)

先にも書きましたが、日ごろから人も町も夜活発になる国ですが、
こちらではあまりみかけない「昼型人間UAE人」の相方さまは、普段、
夜に友達や会社の人と出かけるということを全くしません。最近では
それを察して、お友達や会社の人が、夜9時以降に電話をしてくることも
なくなりました。
でもラマダン中は特別。相方さまへの来客も多くなります。
集い始めるのが毎回夜9時過ぎ、お開きも夜中1時過ぎとあって、
「途中寝ちゃうかも」とよく冗談を言ったものですが、
頻繁に歯医者に通うようになってから、必然と夜型人間になった相方さま。
健康のためにはどうかと思いますが、そのおかげでようやく、
社会交流ができるようになりました。

そんな年に一度やってくる神聖な月ラマダンも、
月もポキっと折れちゃいそうに細くなってきて、
もうあと数日で終わりです。実はラマダンは終わりに近づくにつれ
何かと忙しくなるのですが、ラマダン明けのイードが終われば、
また普段の生活パターンが戻ってきます。