絵とか、文字とか、写真とか・・。その日の内容と気力に合わせて変化します。


2008.9.29


いかに普段簡単になんでも口にできるか
しみじみありがたみを感じます。


ラマダン中、日中断食をすることは
もうかなり周知のことですが、
その日の断食を終えて初めて食べる食事のことを
「イフタール」と呼びます。

以前書いたことがありますが、
ラマダン中、「分かち合う」ということはとても徳とされています。
そのため、自分の家族分以外にイフタールのための食事を余分に作り、
「誰でもどうぞ遠慮なくいらしてください」−と、
庭や家の外に専用の場所を設ける家があちこちに見られます。
ここアルアインの町中には、亡き初代大統領の基金で
無料で食事が配られるテントがいくつか設置されています。


我が家でも毎年準備するのですが、
量は半端じゃありません。
我が家で働いている職人さん、
この周辺に住む、らくだや羊の世話を任されている人、
畑の世話を任されている人、
モスクの管理をしている人、
ハイウェイの出入り口を警備している人・・・などなど
それに加えてそのお友達のみなさん、
遠くからは車やバイク、中には「え?いったいどこから来たの?」と
我が家の裏の砂漠のどこぞからサンドバギーでわざわざ足を
運んでくる人もいます。
裏の砂漠には政府管理の井戸がいくつか掘られていて、
そのポンプのスイッチを入れたり切ったりする人がいるのですが、
彼は我が家の前を通るため、朝スイッチを入れに来たついでに
容器をおいていき、夕方スイッチを切りにきたついでに
食事のつまった容器を持って家に帰ります。

というわけで、毎日イフタール時に集まる人は、総勢約30人。
30人分の食事を毎日、約30日準備します。
30人って、一クラス分の給食?ってくらいの量なんですが、
ここで、
「すごーい、はなももさん!」と感激した方、すみません、すみません。
娘を誇りに思ったお母さんごめんなさい。
ワタクシそんなできた主婦ではございませんで(「やっぱりね」って
今声が聞こえたような)。
で、でも、あたふたと言い訳するようですがっ、
二人三人の料理を作るのとはわけが違うのですっ。
しかもラマダン中は断食しているので準備中味見なんぞできないわけで、
さらにイフタールで集まってくる人々は、
みなインドやバングラデッシュ、パキスタンといったお国柄、
私とは味好みも違っていて(半端じゃなく辛いし)、
そんな皆さんに満足してもらうには、私の腕ではとてもとても・・
(と、言えば言うほどダメ主婦のいいわけに聞こえるわけですが)
ーというわけで、
ラマダンのときは、お料理を作ってくれる職人さんを一人
お願いすることにしています。
で、ついでに私たちの分も作ってもらうことが多く、
お客さん30人>家族2人て、
もはや「家族分に加えて余分に作る」のではなくて、私たち二人が
「余分」みたいになってますけど。

彼、朝起きたらまず玉葱を切ることから一日が始まるそうで、
みんなの分できあがるのがだいたい夕方5時頃。一日かかりです。
しかも、断食中味見はできませんから、経験と勘でお料理するんですが、
これがとってもおいしいー(私たちの分を作ってくれるときは、
辛さ激控えめに作ってくれます)。しかも温かい。
その時間配分に感心しちゃいます。

イフタールを食しにいらした皆さんと直接顔を合わせたことは
ありませんが、夕方近くになると、どんどん人が集まってきて
楽しそうにわいわい話をしている声が聞こえてきます。
なんだか分かち合うってこういうことをいうんだな〜と
ちょっと幸せな気持ちになるのが不思議。
ちなみに、以前も書きましたが、そこには「与える・与えられる」という
上下関係はまったく存在しません。

「ラマダン=断食」ではなく、断食はあくまでラマダン中のごく一部の行い。
怒ったり、憎んだり、大きな声を出したり、そういうことも
慎むのもラマダン中は求められます。
まー、本来は分かちあう思いやりも、神聖な気持ちも
寛大な心持も、この1ヶ月に限らずずっと続けていくに
越したことはないんですが、人間ってそうそうできたもんじゃ
ございません(私だけ?)。
(食事提供も、週1〜2回の大量買出しをずーっとは
ちょっとつらいものもございます・・なにって、お財布が。)
でも、1年のうち1ヶ月間だけでも
そういう気持ちでいることも、また、ラマダンをきっかけに
そういう気持ちを得ることも、とても意味があるように思うのです。

断食するため、「ラマダンって大変だね〜」という印象が強いのが
一般的ですが、何年かラマダンを過ごして
オットや家族、友人などを見てきて思ったことは、
ラマダンの挨拶に、「ラマダンおめでとう」はありますが
「ラマダンがんばって」はないように、
「大変」というのとはちょっと違うんだなということでした。
もしラマダン当事者にお題「ラマダンって〇〇な一ヶ月」と出したら、
「ラマダンって、『イスラム教徒でよかった』と、そう思う1ヶ月」
そんな答え多いんじゃないかと思います。

ラマダンは、断食することが目的ではなく、
本来の大きな意味は「聖なる月」。
なんとなく神聖な空気があちこち漂う1ヶ月も
もうあと数日となりました。



(おまけー我が家のイフタール)
*写真はおそろしくやる気のない、ピンボケ、食べかけ写真でスミマセン。

イフタールでは、決まりはないのですが、まず口にいれるのは「水とデイツ」。
それが遊牧民もともとの習慣のため、
オットやオットの家族、友人、皆まずそれが基本になっています。
すきっ腹に、はしたなさ丸出しでいきなりむさぼるように
がっつり食べるとお腹を痛くしますので(体験談)、
まずは水とデイツ、スープや果物で胃の準備体操。

それを口にしたあと、お祈りをします。
お祈りをしてちょっと間があくので、その間胃も準備ができます。
断食をしてみようと思っている方、イフタールは
そんな風にゆっくり進めることを、お勧めします。

さて、イフタールの内容ですが、
食事は、何を食べなくてはいけないというものはありませんが、
日本のお節のように、なんとなく(?)イフタールに食べるのが伝統になっている
アラブ料理があります(御節と違うのは、普段も食べること)。

これは、スリードというお料理。

鶏肉や羊の肉と野菜を煮込んでスープを作り、
それに薄く焼いたパンをちぎって浸します。

こちらはマチュブース。

やはり鶏肉や羊の肉と野菜を煮込んで
そのスープでご飯を炊きます。

それから、普段より食事を一回抜かすため少し多目のエネルギーが
必要ということからなのか、甘いものも欠かせません。
これはこのあたりでは典型的イフタールのデザート、アルギーマート。

いうならば、ホットケーキの材料でボールをつくり、
砂糖水シロップに浸して、蜂蜜をかけた感じ。
(甘いんだけれど、いやな甘さじゃなく次々食べちゃえます。)

これを食べながら、甘いミントティーや、ちょっと苦めの
アラビックコーヒーを飲んで、一家団欒のんびり時間を過ごします。