絵とか、文字とか、写真とか・・。その日の内容と気力に合わせて変化します。




2004.11.2

UAEの一代目大統領
ザイード・ビン・ソルタン・アルナヒァンさんが
亡くなりました。


イラク戦争やパレスチナ問題、、サウジアラビアでの爆弾テロなどが
ニュースに流れると、UAEは大丈夫?とよく心配されましたが、
UAEは、きっと今の日本よりずっと治安がよく、また裕福で平和な国です。

それを築いたのがこの第一代目の大統領ザイードさんでした。
国民がいかに彼を信頼して、慕って、尊敬していたかは
町中どこそこでみられる写真や肖像画が物語っています。

相方さまが子供の頃は食事を一緒にする機会がよくあったそうですが、
それはそれは子供好きで、寛大な、オーラを感じさせる人だったそうです。
それは写真からもよくわかります。
ふと街中に顔をだして、人々と話したり、サッカースタジアムに足を運んで
みたり、とても気さくな人で、時間さえあれば直訴も受けていたそうです。

彼の人柄を知る逸話は沢山あります。

ある日、ナンバープレートのない車を彼が一人で運転していると、若い警察官が
「ご老人(こちらの国ではお年よりや年配者をとても敬います)、
身分の確認のために免許証を出してください」と車を止めました。その若い
警察官、よもや大統領が一人で車を運転しているなんて思いもかけず。
ザイードさんが免許をもっているかどうかは定かではないのですが
(おそらくそんなものは持ってないんじゃないかという話)、
そのときおもいっきり無免許運転。免許の提示を求める若い警察官に
ザイードさん「そこをなんとか・・」と懇願。
困ったその警察官は「聞き分けのない困った老人がいて・・」と
上司を呼び出したそうです。

出向いた上司は当然大統領とすぐわかり、青い顔で若い警察官をしかりつけ
大統領に詫びたそうですが、これをみたザイードさんは激怒、
その場でこの上司に首を命じ、大統領だと気がつかずに(というか、
気づかなかったからできんじゃないかと思いますが・・)自分の任務を
果たそうとしたその若い警察官に、首にした上司のポジションを
与えたんだとか。

なんともちょっとその上司に同情しちゃいますが、
「それで首にしたんじゃ、けっこう恨まれたんじゃないの〜」と聞くと
「いや、首になったくらいでよかったってほっとしたらしいよ」と相方さま。
投獄や国外追放なんてことにならなかったのが幸いだったと言っていたそうで。

このできごとを聞いて、この国を少し垣間見たような気がしました。
この国がこの偉大な人物によって平和にぐいぐい成長したこと、
彼が誰にも有無を言わせないものすごい巨大な力と影響力をもっていること、
その誠直さと絶大な力は国民からは慕われ信頼されていますが、果たして
彼の周りのすべての人がそれを歓迎しているかどうかということ、
とても微妙なバランスでこの国が保たれていることを感じました。
私がUAEに移住してきたときにはすでに大統領は90歳を超えていました。
よく友人に「UAEが平和のうちに遊びにおいでね」と言うと冗談に
とられたりもしましたが、私の中では半分以上本気でした。

90歳も後半でしたので、実際の政治活動はほとんどしていなかったと
思われますが、それでもその存在感、存在価値、存在意義は
衰えることがなかったと言われています。
それだけに少し前に、もしかしたら大統領が危篤状態にあるかもしれないと
話に聞いたときには、ああ、ついにそのときがきたか・・・と、たかだか
1年半在住の私でさえショックでしたので、この国の衝撃、悲しみは、
どれだけ大きいか計り知れません。

石油という莫大で危険な財産を抱えながら平和が保たれてきた彼の人柄と、
そして偉大な力に、国の人だけではなく、人口の半分以上を占める国外からの
出稼ぎの人達も恩恵を受けていて、彼を慕う人はとても多いと聞いています。
今、中東各国のテレビは彼の為に一斉にコラーンを流しています。


ザイードさんが危篤状態にあると聞いた翌日朝、肌寒いと思えるほど気温の下がった
朝でした。
らくだが草を食べている音と鳥の声しかしない静かな時間が流れる砂漠に
相方さまと腰をかけ、「いったいこれからどうなるんだろうね〜」と
朝日がぐんぐん昇っていくのに見とれながら、しばらく思いをめぐらせて
しまいました。

首相一人になにかあっても、そうそう国家そのものがゆらぐことのない
時代にある国に生まれ育ってきた私。
さてこれからどうなるのか、想像もつきません。

賢明なザイードさんが将来のUAEを危惧していなかったとは思えず、
きっと晩年は意志を次の世代へ残すことに尽くしたことと思います。
多くの人が抱えるUAEの将来への不安が杞憂でありますように。
沢山の人から愛されたザイード大統領のご冥福を
こころからお祈りいたします。



追記
2004.11.24


UAEの初めての、そして唯一であった大統領が亡くなり、
あの覚悟していながらも衝撃だったあの日からあっという間に20日以上も経って
しまいました。

我が家は街から離れた砂漠の中に家があるため、
この日は湾岸の国のテレビ全てが一斉にザイードさんの為にコラーンを流していたという事
以外、相変わらず物静かな日常だったので、街の様子はどうだったのか・・というのは
実は人づてに聞いた話でしか知りません。

街ではあちこちのモスクからいつも以上に大きな声でコラーンを読むのが聞こえたとか、
床屋で髪の毛を切っていたら、警察が来てすぐに店を閉めるように言われて
追われるように出てきたよ〜とか、
ラマダン中なので、普段でも日中は閑散としている町ですが、さらに道路から車も人も
一斉に消えたとか。

相方さまのお父さんはザイードさんに近いつながりがあったため急遽出向き、
ザイードさんのお顔を拝見できたそうですが、
ただそのことについては今も特に語ることはありません。

テレビではひたすらコラーンが流れるだけで、いったいどうなっているのか、
なにが起こったのかはまったく知るすべがなく、3日目くらいだったでしょうか、
ようやくニュースが流れるようになり、ザイードさんの功績を特集で流したり・・
とはじまり、各国の要人が参列して葬儀を行う様子が中継され、
徐々に普通のニュースもではじめ、少しずつ日常が帰ってきました。

週明け、お店の3日間の休日も明け、日本に帰る予定だった私はちょっと買い物に・・と
街にでました。ラマダン明けのイードが迫っているため、お店によっては
多くの人が出ていて、中には店棚が品切れですっかり空なんていうところもありましたが、
毎年イード準備はお祭り騒ぎなのですが、さすがに今年は例年に比べてひっそりしていた
感があります。

亡くなったという知らせがあった次の日、相方さまがもって帰ってきた新聞は白黒で
ザイードさんのこと以外他の記事はなにも載っていませんでした。
アラビア語で「ザイードさんは天に召された」と書かれていたのですが、
美しいアラビア語に心うたれたのか、相方さまからザイードさんのお話を
沢山聞いていたのでほんとうに悲しくなってしまったのか、どういうわけか
その言葉にぽろぽろと泣けてしまいました。

でも、ニュースも新聞もそうですが、功績は沢山書かれていましたが、
実際どうして亡くなったのか、亡くなったと知らせがあってから葬儀がおこなわれるまでの
間になにがおこっていたのか、日本などであればこと細かく報道されるようなことは
なにひとつありませんでした。
言論の自由にかこつけて、見ている方が冷めるような過度でかたよった日本の報道に
長い間どっぷりつかっていた私には、なんだか物足りなく感じ、しょっちゅう相方さまに
「ザイードさん、どういう経過で亡くなったか聞いた?」と聞いていました。
でもザイードさんが亡くなったことにとても落胆した相方さまも
そんなことには強く興味はないよといった風。

どう考えても毒殺など事件がらみで亡くなったはずはなく、また
亡くなった経緯を知ったからといってどうということではなく、ある意味とても
プライベートはお話で、そのためそんな報道はされなかったのか。
または報道する側の配慮なのか。それとも報道規制がされていたのか。
もし後者だとすれば、これからのUAEに少し不安を感じますので、
できれば前者であってほしいものです。



2004.11.17

というわけで、ただいま日本におりますです。





実はこんなの↑をほんの一瞬載せたのですが、
ほんとに一瞬だった為、ごらんになった人はひじょーに少ないことと思います。
12月に相方さまと日本へ里帰りの予定だったのですが、
愛して、愛してやまない実家にいるわんこのはなが急病、
生死をかけた手術をするということで、新婚であろーがなんであろうが
わんこ優先、相方さまを残して急遽先に日本への帰国を決意。

時差ぼけも考える暇がないほどばたばたと日が過ぎて、
今ではそのはなも無事に退院し、わんこたちと至福の時をすごしております。

UAEの大統領が亡くなったというのを最後に更新がとまっておりますが、
機会があれば(時間はあるので・・やる気の問題)
その後国や街の様子はどうだったのか、ちと書いてみたいと思ってみたりしています。

<おまけ>

「あのはなが病院の片隅でひとりでたえているんじゃかわいそうだよ」と
日本帰国へと背中を押してくれた相方さま。
こんなひとと人生を歩んでいける幸運に大変感謝でございます。
来年はもう少し大事にしてあげよう。



2004.11.29

亡くなったのは休日中だったので休日延長はなく、
土曜日から18日ぶりの仕事が始まったそうです。
イードって何?という方はこちらを参照〜。

先日の後日談はこちらにありますので、
もし興味のある方は。



大統領が亡くなった次の日から、国からの通達で一般企業やお店などは3日間の休日、
公務員は8日間の休日ということになりました。
でも実際は、まったく全てのお店が閉まってしまうと、生活そのものが困ってしまう
人もいるため、見た目お店は閉めておいて、中に入れば営業している・・という
ところもあったようです。また公の業務の中にも、8日間も休むわけにはいかないものは、
早くから最低限の業務は開始されたそうです。
UAE30数年前の、今より更にマイペースで時が流れていた時代と違って
国際化ががんがん進み時代の流れも急速に変わりつつある今は、さすがに数日も、
しかも急に国中の機関全てがストップしてしまうわけにはいかない訳です。

ん?ということは、相方さま、
君は18日間急遽休んでも、誰もなにも困らない仕事をしているということカネ。


・・・それはさておき、
ここでの国の祝日・祭日というのは、1年先の旅行予定まできちっと立てている
私の妹夫婦のような性格では、とても受け入れがたいシステムになっています。
カレンダー上では祝日で、確か去年、その日は仕事も学校も休みだった・・という日でも、
今年のその日が「休日」になるかは、早くても数日前、もしくはその日の前日になるまで
わからない・・ということがとてもふつーです。

ーと上記を読んでもなんだかよく意味がわからない人も多いと思いますが、
数年先のカレンダーをみて予定をたてることができる世界にいる人にとっては、
「いいのか?これで。」と、理解するまでに時間を要すシステムなのです。

たとえば、中東諸国の多くは、週末が木曜日・金曜日となるわけですが、
もし今年はその祝日が水曜日に当たるとします。もしあらかじめその日が休日になると
わかっていれば3連休になるので、どこかへ旅行も考えちゃおっかなーとできるわけです。
が、その日が休日になるかどうかは、ぎりぎりまでわからない。
前日の火曜日に仕事にいって、「明日はやすみ」と知ったりするわけです。

数年前には、一度「休み」と公表されたあとにそれが撤回されて、混乱を招いたこともあるんだとか。

UAEに住みはじめてしばらくした頃、カレンダーに休日印を発見。
「お、この日休みじゃん。どっかいけるかな〜」と
相方さまに予定を聞くと、「その日休みかどうかまだわかんないからなー」と返答。
どういうことなのかちっとも理解できず「そんなはずはないでしょっ、カレンダーに載ってて
休みじゃないってどーいうことよっ!」と毎度のようにガウガウ噛み付いたわけですが、
その後日本人のお友達から「そうなんだよねーだから子供の学校とか休みがぎりぎりまで
わからなくって困るんだよねー」と聞きびっくり。相方さまにわびを入れた次第です。
(このあたり、普段からいかに相方さまの信用がないかがわかると思いますが。)

カレンダー上の祝日というのは日本などに比べるととても少ないのですが、
仕事の休みはおどろくほどに沢山あります。
相方さまの職場には月に一日「お休みしてもいいよ」という日が与えられ、それは
どの日にとってもいいことになっていて、
そのため「今週はさー、いっぱい働いちゃって疲れちゃったよー」とひょろっと休みをとったりします。
朝7時に出勤して、3時には帰ってくる毎日なんですけどね(その間休憩もいっぱいあって)。
先日電話で話したところ、
「なんかさー早く日本に行きたくなっちゃったよ。今日上司にもう少し早めに、長めに休み取れないか
きいてみようかなー」ですと。
夜通し朝まで働いたあとのフラッフラのその足で成田に向かい、必死でとった5日間の休みを利用して
アメリカまで相方さまに会いに行った若かりし自分が聞いたらば、「相方さまわら人形」に
五寸釘をさしていることでしょう。